Graduates
卒業生紹介

  • ジュエリーに「感動」を刻む仕事

    ティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インク
    ハンドエングレーバー(※)大日向 弥生さん

    大日向さんは、日本でたった6名のティファニー“ハンドエングレーバー”の1人だ。「入社後まず最初に取り組んだのが、レタリングという文字のトレーニング。ひたすら紙に鉛筆で書いて練習しました」。その後は銅板に直線や曲線を彫る練習。商品にさわれるようになったのは2年目からだ。もちろん最初は下書きまで。「初めて商品を彫ったのは、2年目の終わり頃でした」。他のブランドが機械を導入する中、手彫りにこだわるティファニーならではの厳しさだ。
    ハンドエングレービングの魅力は「手彫りなので、決して同じものが出来ない、世界で一つだけのジュエリーになること」だと大日向さんは言う。「ジュエリーに思いを刻む、素敵な仕事だなと思います」。だからこそ、スピードを求められる作業でも妥協せず、仕上がりの美しさを追求する。お客様が目にする瞬間の感動を想像しながら、「世界に一つの大切なもの」を日々生み出し続けている。

    ※商品にイニシャルや数字、絵などをアレンジし、手彫りで彫刻する職人

    COMPANY DATA

    ティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インク

    1837年ニューヨークで創業。世界で最も有名なハイジュエリーブランドを称する「世界5大ジュエラー」の中のひとつ。100年以上前に考案した“ティファニーセッティング”のリングは、現在も婚約指輪の代名詞として世界中で愛されている。

    https://www.tiffany.co.jp
  • 販売とデザインスキルを磨き
    いつか母国・韓国にもお店を

    株式会社ピースリークリエーション
    コーディネーター・デザイナー金 時賢さん

    大阪ルクアイーレにある「Voulez vous」でジュエリーの販売をしている金さん。お客様のリクエストに親身に応える真面目な性格で、たくさんのリピーターもついている。「あるお客様が、私がおすすめした指輪でプロポーズされて、後日婚約者と一緒にお店に来てくれたんです」とうれしそうに語る金さん。販売だけでなく新商品のデザインも任され「お客様との会話からデザインのヒントを得ることが多い」とのこと。「販売とデザインの両方を手掛けながら、会社をもっと大きくしていきたい。韓国にも出店して、そこの店長になるのが夢です!」

    COMPANY DATA

    voulez vous

    「素朴な上質」をテーマに、神戸・京都・大阪でオリジナルブランドを展開。

    https://www.voulez-v.com
  • 品質を左右する
    CAD技術の極みを目指して

    K.uno
    CADデザイナー加藤 健太郎さん

    オーダージュエリーのパイオニアとして有名な『ケイ・ウノ』でクリエーターとしてのキャリアをスタートした加藤さん。CADデザインを描く技術者の毎日は、「色々なデザインを造型できて刺激的」だと語る。「オーダーメイドなので多種多様なデザインを手掛けるのですが、アプローチの方法も考え方も一つひとつ違い、とても難しいです。そこがおもしろさでもあり、上手くいった時は思わず顔に出てしまうぐらい(笑)」。ヒコであらゆるジュエリーのデザインや構造を学んだ経験は、彼にとって大きな糧になっている。「CADの操作に慣れていたことや、貴金属装身具検定の勉強で身につけた寸法感覚が役に立つことも。今の夢はCADマスターになることです」。

    COMPANY DATA

    K.uno

    デザイン・制作・販売を自社で一貫して行い、ジュエリーを中心にオーダーメイドを手掛けるブランド。

  • クラフトマンとして
    さらなる高みを目指して

    アトリエ アル
    制作職(クラフトマン)安田 亮さん

    シルバーアクセサリーが好きで入学したが、技能五輪大会への出場をきっかけに高級宝飾の世界に魅了された安田さん。初めて出場した大会の貴金属装身具部門で金メダルを獲得。ドイツで行われた国際大会に日本代表選手として出場した。「日本のトップで活躍する方が指導員となり、お話を伺ううちに一層ジュエリーが好きになりました」。卒業後はオリジナルジュエリーで定評のある『アトリエ アル』でキャリアをスタート。入社2年目にしてデザインから完成までを一人で進めている。「諦めずに挑戦することが大切。いろいろやってみてこそ将来は開けるものです」。

    COMPANY DATA

    アトリエ アル

    1969年創業。大阪・東心斎橋にてオリジナルジュエリーの企画、デザイン、制作、販売までを一貫して行う。

  • パーソナリティをも変えた
    販売・接客の奥深さ

    Beyond Cool
    コーディネーター川﨑 由紀乃さん

    ブラッディーマリーのショップでシルバーアクセサリーを一目見て夢中になったのは高校生のとき。その後短大に進んだものの、ジュエリーへの道を諦められずヒコに入学。以前からファンだった『ビヨンクール』に念願かなって入社した。「販売の仕事をするようになって、性格が前向きになりました。好きなジュエリーに囲まれているから、壁にぶち当たることがあっても将来の糧と思い、苦に感じることはない」という。「自分に自信を持つまでは、しんどい時期がありました。徐々にお客様がついてくださるようになって、乗り越えられたんです。『どれが似合うと思う?』って頼ってもらえたり、お客様の魅力を引き出すコーディネートをすることが喜びです」

    COMPANY DATA

    Beyond Cool

    全国60店舗を展開するシルバーアクセサリーの老舗。世界的なブランドや時計など、最新のファッションアクセサリーを扱う。

  • クリエイターとお客様をつなぐ
    懸け橋になるために

    H.P.FRANCE
    コーディネーター新垣 七星さん

    クリエーションを伝えることを「最も創造的な仕事」と位置付けている『H.P.FRANCE』。新垣さんは「私たちが扱うジュエリーには、一つひとつに作り手の熱い想いが込められています。見ただけでは伝わらないコンセプトや制作の背景、価値を伝える重要な仕事。そこに魅力を感じ、クリエイターとお客様との懸け橋になりたいと思いました」と語る。「日々伝えることの難しさを体感しています。さまざまな経験を積み、私に会いに来てくださるお客様を増やしていきたいですね」という新垣さん。伝道師としての成長に期待がかかる。

    COMPANY DATA

    H.P.FRANCE

    国内外のクリエーション、生活と文化に関わる事業を幅広く展開。

    https://www.hpfrance.com
  • 10年後、20年後を見据えた
    店づくりを

    art Smith
    フリーランス(ショップオーナー)澤田 肇さん

    『art Smith』は彫金教室とアクセサリーのセレクト、カフェを手がけている。澤田さんは土木系の現場監督から転職をした異色の存在。30歳の頃に最後のチャンスと思い、ヒコに入学。研修生を経て、卒業後10ヶ月で起業した。リスク分散のため彫金教室と物販を2本の柱とし、他の作家さんの作品も置いている。ブライダルのオーダーが増えており、観光客に人気のお試し彫金教室も好調だ。澤田さんの今の目標がネット販売。「将来を常に考えています。10〜20年を経てやっと達成感を感じるでしょうね」。彼の挑戦はまだ始まったばかり。

    COMPANY DATA

    art Smith

    店舗は京都・出町柳。「自由につくりたい物をつくれるお店。物作りの好きなひとが集える場所」がコンセプト。

  • 一人前の作家を目指して
    努力を続けたい

    一人前の作家を目指して
    努力を続けたい

    sasaco
    フリーランス(ジュエリー作家)向 春香さん

    『sasaco』のアクセサリーはファンが多く、「Twitter」のフォロワーも4000を超える。また百貨店の販売会でも高い人気を誇り、ワークショップの講師もしている。順風満帆に見えるが「自分から委託販売をお願いしたお店もあります。その時はドキドキしました!」。ヒコの充実した設備を見て「思う存分好きなものが作れそう」と入学を決意。クオリティの高い商品をつくれるのは「ヒコで学んだ経験があるからこそ」と向さん。「将来に不安はあるけど、作家で一人前になると決めたんです」。日々その感性に磨きをかけて、唯一無二の作品を世の中に送り出していく。

    COMPANY DATA

    sasaco

    一見”不気味”なものでも、奥深いところに“かわいさ”がひそんでいる。そんな世界観を表現したアクセサリーを展開。

  • 活躍の場を広げる
    気鋭のデザイナー

    ALCHAIST
    フリークリエータ―音地 智さん

    オリジナルブランド『ALCHAISTーアルチェイストー』で、デザインから制作・販売までをすべて一人で行う音地さん。高校時代に入っていた彫金部でジュエリーに興味を持ち、ヒコへ進学。卒業後は販売職に就いたが「日に日に"自分んで作りたい"という思いが膨らんでいきました。とても悩みましたが、好きなことをやりたいという気持ちの方が大きかった」と独立の道を選んだ。それから7年。ついに個展を開催するまでに。「まずは個展の成功ですが、今後はWEB販売も本格的に手掛けていきたいです」と、ますます意欲を燃やしている。

    COMPANY DATA

    ALCHAIST

    百貨店での期間限定ショップ出店をはじめ、オーダージュエリーの受注など幅広く商品を展開。

    https://alchaist.crayonsite.com
  • 目の前の“1本”に向き合い
    「難問」を解決するおもしろさ

    オーデマ ピゲ ジャパン株式会社
    大沢 利恵さん

    修理会社に7年勤めた後、「1つのブランドのプロフェッショナルになりたい」とAP(オーデマピゲ)に転職した。「次の職場はAPしかない」と思っていたという。技術専門職としてずっと働けること、自社ムーブメントがあり、スイス本国での研修制度が整っていることなどがその理由だ。既にスイス研修には4回行った。通訳なしの英語での研修。決して「ご褒美」ではない厳しい研修だが、参加者一人ひとりの能力に合わせたプログラムが組まれているというきめ細かさからも、技術者を大切にする社風がうかがえる。
    APでは、オーバーホールも修理も、1人の技術者が1本すべてに責任をもつ。しかも、一度携わった時計は、次の修理の際も同じ技術者に「返って」くるという。「再修理は喜ばしいことではないですが、前回自分がどんな修理をしたかを振り返れるので、勉強になります」。自社ムーブメントならではの難しさもある。「量産ではないので、一つひとつ誤差があるんです。だから調整して削ったり、他のパーツとのバランスを見たりと、非常に手間がかかります」。でも、その難しさこそ仕事の醍醐味だと大沢さんは言う。集中して集中して、やっと仕上げたときの達成感は何物にも代えがたい。
    APに移って10年、経験を積むほど「初めて出会う不具合」は減ってきた。だから経験を重ねた今初めて出会う不具合は、必然と難しい修理が多くなる。想像力を駆使して不具合の原因を推測し、昔の資料をめくって仮定を立て、仲間に相談しながら期限内でトライ&エラーを繰り返す。原因が解明できたときは、仲間と喜びを分かち合う。
    「APに入って、改めて時計って難しいなと思った」と言う大沢さん。だからこそ、気を抜かず真摯に目の前の“1本”に向き合う。彼女の目指すゴールはまだ先にある。

    COMPANY DATA

    オーデマ ピゲ ジャパン株式会社

    世界最高峰の高級時計メーカーの一つに数えられている名門マニュファクチュール。1875年創業以来、創業家一族の経営によって独立性を維持している唯一の高級時計ブランド。機械式時計の分野でたくさんの世界初という記録を作り、常にデザイン、素材、技術のイノベーションを追及している。

  • きっかけとなったブライトリングの時計を
    自ら修理できる技術者へと成長

    ブライトリング・ジャパン株式会社
    三木 正弓さん

    時計業界を目指すきっかけとなったのが、社会人になって購入したブライトリングの時計だった。その歴史や技術について知れば知るほど興味がわき、ついにはヒコへ。卒業後、念願かなって入社し、現在はスタジオ・ブライトリング大阪に勤めている。
    「ブライトリングには独自の教育システムがあり、1年目はクォーツ時計、2年目は3針時計のオーバーホールなど、毎年ステップアップしていきます。当初は先輩方に頼ることが多かったですが、年々技術が上がり、仕事の幅が広がってきました」。素早く自分で判断できるようになったことがスピーディーな作業にもつながり、より複雑な時計を手掛けられるようになったという三木さん。 「印象深いのは2018年12月に受けた1段階難しいムーブメントのトレーニング。思えばブライトリングとの出会いは、社会人になって購入した一本の時計でした。『モンブリラン』という時計で、搭載されているムーブメントは独特なもの。学生時代も就職してからも自分で触ることができませんでした」
    しかしそのトレーニングを経て、ついに「モンブリラン」を手掛けられるようになったのだ。「私の未来を変えた宝物の時計を、18年経ってようやく自分で修理できるようになったのは感慨深いです」。 「夢がかなって幸せ」「オーバーホールを担当したお客様の時計が元気になるのがうれしい」と三木さんは仕事にたくさんの喜びを見出している。それもヒコでしっかり学んだ技術の基礎があるから。「今思えば、学生時代にもっと失敗しておいてもよかった。失敗から学ぶことはとても多いですから。学んだことは社会に出たときに必ず役に立ちます」
    今後も技術を磨き続け、ブライトリングの技術者として、ひたむきに一つひとつの時計と向き合っていく。

    COMPANY DATA

    ブライトリング・ジャパン株式会社

    1884年創業のスイスの時計メーカー。コックピットクロックや、クロノグラフなど、パイロットのための時計を1世紀以上にわたって開発し続けてきた。1915年に世界にさきがけて独立したプッシュボタンを備えた腕時計クロノグラフを完成。日本には各地の正規販売店のほか、東京と大阪にメンテナンス拠点「スタジオ・ブライトリング」を持つ。

  • ヒコで身につけた技術と知識で
    顧客の信頼を積み重ねる

    株式会社カミネ
    國府田 和志さん

    神戸で100年以上の歴史を持つ高級時計宝飾店のカミネに勤める國府田さん。入社して5年、販売スタッフとして店頭に立っている。ウォッチコースの卒業生のほとんどが修理職に進む中、國府田さんは「就職は販売の仕事しか考えていなかった」という。
    入学当初は修理職を目指していた。志向が変わったきっかけは、接客のアルバイトだった。「コンビニのバイトでしたがお客様と話すことが楽しくて、接客が向いていると思ったんです」。おしゃべりが好きで明るく人当たりのいい國府田さんにとって、この選択はごく自然なことだったのだろう。
    3年生の夏、時計販売店を見学して、第一志望に絞ったのがカミネだった。「取り扱うブランドの数が圧倒的に多いこと。そして展開する5店舗それぞれで揃えるブランドが異なる珍しい形態をとっていること。また独立時計師や時計解説者を招いてのイベントなど、他にはない特長に惹きつけられました」と当時の思いを語る。現在は本店であるトアロード店に勤務。販売兼修理担当として、店頭でできるバッテリー交換などの簡単な修理は國府田さんが行っている。 「他のスタッフから見積りで出てきた修理内容について尋ねられる場面もあります。その作業がなぜ必要かをきちんと説明できれば、お客様もご納得していただけるんです。販売の仕事でもヒコで学んだ時計修理の知識はとても役立っていますね」
    高級時計の業界において20代のスタッフはとても少ないのが現状だ。「まだ若い私がお客様に信頼していただくためには、知識が不可欠です。そのためにも常にアンテナを張り巡らして情報を吸収し、接客に活かしたいと思います」。謙虚かつ真っ直ぐな言葉に、國府田さんの熱い思いと決意があふれていた。

    COMPANY DATA

    株式会社カミネ

    1906年創業。神戸の中心地に5店舗を展開する老舗の高級時計宝飾専門店。「カルティエ」「シャネル」「ブルガリ」などの人気ブランドから「パテック フィリップ」や「オーデマ ピゲ」など本格派機械式時計まで、扱うブランドは世界を代表するものばかり。正規代理店として確かな品質と信頼をおけるサポートを提供している。

  • 愛用してくださる方の姿を、
    常に思い描きながら

    ブルガリ ジャパン 株式会社
    荻田 彩さん

    全国から届けられるブルガリの時計修理を手掛ける荻田さん。彼女がこの仕事に就くきっかけは、別の時計の販売職に就いていた頃、修理を断られて残念そうに帰っていくお客様の姿を見たことだという。「直して使いたいというお客様がいらっしゃる以上、責任を持ってその気持ちに応える。そんな仕事がしたかったんです」
    「ブルガリのような有名ブランドで働くとは全く想像していなかった(笑)」という荻田さん。だが、仕事で日々ブルガリの時計に触れるうちに、すっかり魅了された。「もともとがジュエリーブランドということもあって、とにかく美しい時計ばかり。デザイン性も色合わせも本当に素敵で、まるで芸術品のよう。見たことのない時計に触れるたびに、いつも感動しています」
    仕事上でお客様と接する機会はないが、「修理したら、また喜んで使ってくださるんだろうな」と、常に想像しているという荻田さん。今現れている不具合を直すだけでなく、「この先数年、故障も狂いもなく快適にお使いいただけること」が作業の目的だ。だから「すぐにまた修理に出す必要がないように、少しでも異常があればパーツを交換しておくなど、細部まで目を配ります」。ブルガリジャパンでは、スイスで研修を受けた「トレーナー」と呼ばれる技術者が全ての修理品の仕上がりをチェックし、規定の水準に達しているかどうかをジャッジしているという。そうした品質への高いこだわりが、社内の技術者たちにも深く浸透している。「こういう環境で仕事ができるのは恵まれているなと思います」
     荻田さんの今の目標は、「とにかくブルガリの時計ならどんなものでも直せる」まで技術を高めること。彼女のモチベーションを支えているのは、見えない「愛用者」への思いだった。

    COMPANY DATA

    ブルガリ ジャパン 株式会社

    1906年創業。神戸の中心地に5店舗を展開する老舗の高級時計宝飾専門店。「カルティエ」「シャネル」「ブルガリ」などの人気ブランドから「パテック フィリップ」や「オーデマ ピゲ」など本格派機械式時計まで、扱うブランドは世界を代表するものばかり。正規代理店として確かな品質と信頼をおけるサポートを提供している。

  • 歴史からの「借り物」を
    次の世代へと送る仕事

    株式会社 ケアーズ
    渡部 洸士さん

    主に70年代以前に作られた機械式時計のオーバーホールが渡部さんの仕事だ。同じ時計でも、使われ方や以前の修理内容によって誤差が生じるため手間はかかるが、そのつくりに感心することもしばしばだという。「磨き込まれた部品一つにも、昔の見知らぬ職人さんの上質な手仕事が見えるようで、うれしくなってしまいます」。扱う時計の美しさも、アンティーク好きの渡部さんを魅了する。「自分の何倍も年を取っている時計のデザインが、逆に新しく見える」のだという。
    「『古くて良いものは、歴史からの借り物だ』という言葉がある」と渡部さん。自身も、手掛ける時計を次の世代に送りたいという思いで仕事をしている。時計に命を吹き込む渡部さんの仕事が、貴重なアンティーク時計の歴史をつないでいく。

    COMPANY DATA

    株式会社 ケアーズ

    日本でも数少ないアンティーク時計を専門に取り扱うショップ。「表参道ヒルズ店」は、レディース専門店としてロレックス、オメガ、を中心にカルティエ、ティファニー、パテック フィリップなどの希少モデルが充実。その他メンズアンティーク時計を専門に扱う森下本店(東京都江東区)と、東京ミッドタウン店の3店舗を展開。

  • ウォッチメーカーとして
    あっというの10年

    株式会社 ウオッチラボ
    矢羽田 圭子さん

    「長く続けられ、ステップアップしていける仕事」として、技術職を目指しました。成長するためには、まず現場に出るような会社をと思い、就職活動中にウオッチラボを知り、「ここしかない!」と熱望しました。ヒコに入った当初は機械に疎かった私ですが、就職して、あっという間に10年目に入りました。当社にはヒコのOBも多く、先輩たちに助けられてここまで来ることができました。日々の仕事の内容は大きく変わりませんが、キャリアを重ねていくうちに、その中でも新しい発見があり、積み重ねの大切さを感じます。今の目標は、会社の役に立てることと、自分のやりたいことのバランスを考えつつ、今より技術力を上げて頼られる技術者になることです。これからも、この仕事をずっと続けていきたいと思います。

    COMPANY DATA

    株式会社 ウオッチラボ

    1993年創業。心斎橋近くに本社を構える時計修理専門会社。ウォッチメーカー部門とポリッシュ部門の分業制をとっており、技術者だけでも30名近くを擁する。

  • 『想い』に触れる
    やりがいのある仕事

    共栄産業株式会社
    小泉 雄嗣さん

    「共栄産業は修理専門会社。メーカーと違い、いろいろなブランドの時計の修理に携われるところが魅力ですね」と語る小泉さんは入社11年目の中堅ウォッチメーカーだ。
     機械式時計、複雑時計、アンティークなど、さまざまな時計の修理を1日に3~4本こなすという小泉さんが、一番やりがいを感じる修理は、伝票に「なんとか直してください」「想い出の時計なので……」といったお客様からのコメントが書かれていたとき。「そんな時計を受け取ったときは『よし! やってやる!』って気合が入るんです。私たちが扱う時計の価値は、決して値段だけではなく、お客様の想いがどれだけ詰まっているかということだと思います。裏蓋に『~記念』や『◯◯to◯◯』など彫ってあったりする。まさに想い出そのものじゃないですか。無事に修理が完了してお戻しする際は『これからも頑張ってこいよ』と心の中で声をかけています(笑)」
     一生勉強できる時計の世界。いくつになっても自分次第でやれる仕事が増えていく、とてもやりがいのある仕事だと語る小泉さん。今日もお客さまの想いを受け、仕事に取り組む。

    COMPANY DATA

    共栄産業株式会社

    1973年設立。東京・巣鴨に本社を構える時計修理専門企業。ロレックスなどの高級ブランドをはじめ、さまざまな時計の修理やオーバーホール、電池や時計関連商品の卸などを手掛けている。

  • 「また修理を依頼したい」
    そう思われる仕事を目指して

    株式会社 ウォッチ・ホスピタル
    野村 晶雄さん

    勤務する12人の時計修理技術者全員がヒコ出身という時計修理専門会社「ウォッチ・ホスピタル」。そこで技術部長を務める野村さんは、大手修理専門会社、外資系時計メーカーなどでキャリアを積んだベテランウォッチメーカーだ。今となっては大所帯の技術センターだが、野村さんがウォッチ・ホスピタル入社時、技術者は2名だけだったという。「当時はめちゃくちゃ忙しかったですね。それこそ夜も帰れないくらい無我夢中で働きました。その甲斐あって今では技術者も増え、店舗も2店舗増えました。4~5年で大きく成長していく会社を、肌身で感じることができたのは大きな喜びです」
    修理する時計の割り振りも野村さんの大事な仕事。技術者の経験や技量に合わせて割り振っていくのだが、その技術者を現場でどう育てていくかを念頭に置いて行っているという。「技術レベルは11人全員違いますからね。次のレベルにステップアップさせるにはどの作業をやらせればよいかを常に考えています」。全員が志を持って仕事に臨めるように仕事内容だけでなく、快適な職場環境作りなどにも気を配っているという。
    野村さんが時計の仕事に就こうと考えたのは大学生のとき。もともと手先が器用だったので、手の仕事がしたいと思ったのがきっかけ。「モノを売るというのではなく、自分の技術力で職人として働くという世界に魅力を感じました。形見の品など、取り扱う際はとてもプレッシャーだったりしますが、やり遂げてお客様に喜んでもらえるととても嬉しいですし、やりがいがありますね」
    お客様に「またウォッチ・ホスピタルに修理を依頼したい」と思ってもらえるよう、誠実に仕事に取り組むことが大事と話す野村さん。会社成長の所以を、真摯に仕事に臨むその姿勢に見ることができた。

    COMPANY DATA

    株式会社 ウォッチ・ホスピタル

    2007年設立。メーカーで受けることのできない修理も対応するなど、幅の広い修理受付に定評がある時計修理専門会社。神田、八重洲口など都内に4店舗を展開。

  • 自分が大好きなメーカーで
    働く喜び

    TREK Bicycle 大阪
    北川 晶さん

    高校生の頃に自転車に乗る楽しさに目覚め、ごく自然な流れで自転車に関わる仕事に就きたいと思うようになったという北川さん。とにかく自転車に乗ることが大好きで、就職先もロングライドのコースに困らない“東京以外”を希望するほど。そして、見事内定を勝ち取ったのが名門メーカー、トレック・ジャパンだった。
    「実は、高校生の頃に必死にバイトしてお金を貯めて、初めて自分で買った自転車がトレックのロードバイクだったんです。その速さ、乗り心地の良さに驚いたのを今でも覚えています。自分の大好きなメーカーで働くことができて、夢が一つ叶ったような気持ちでした」
    現在、北川さんはトレック大阪でメカニックとして自転車の組み立てや整備を行うほか、接客も担当するなど忙しい日々を送る。
    「まだ働きはじめて間もなく、覚えることが沢山ありますが毎日充実しています。僕がおすすめした商品をお客さんが気に入ってくれたときは嬉しいですね。これからはトレック以外の自転車にも積極的に乗ってみて、自分の経験をフィードバックしていけたらと思います」
    高校生の頃に買った1台のトレックから続く北川さんのストーリー。その笑顔からは、好きなことに打ち込む充実感が伝わってきた。

    COMPANY DATA

    TREK Bicycle 大阪

    大阪の中心地、梅田や難波からアクセス良好なトレックの直営店。トレックの最新ラインナップからアクセサリーまで、広い店内にズラリ取り揃え、乗り方に合った最適な1台を、知識豊富なスタッフが提案してくれる。

    https://www.trekstore.jp
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